自分を変える日記

読んでくれた方の何かヒントになれたら最高に嬉しいです。

自分を認める

昔から自分の事を表現するのが下手で、他人に自分の事を分かってもらう経験が少なく、いつも心のどこかで誰一人分かってくれる人なんて居ないという気持ちを抱えていた。

けどこんな自分の事を分かって欲しいという欲求も人一倍強かった気がする。その強すぎる承認欲求のおかげで沢山問題も作った。

 

いつも何かのきっかけで自分の事をたくさんの人が認めてくれるような事が起きたりしないかと心の中で思っていた。

ずっと認めてもらえない自分を攻め続け、やっぱり誰も分かってくれないんだという思いを強くしていった。

自分の事を認めてくれていた人が自分が思っていたより沢山居たことが今なら少しだけ分かる気がする。

ただ真っ只中にいる時は、今まで積み重なっていた自分の事なんかわかってくれる人は居ないという思いを心が信じてしまっていて、自分が認められている事を信じられなかった。

 

ある時自分で自分を認める事から始めてみようと思い、今まで誰からも認めて貰えずふさぎ込んでいた自分を思い返して本気で認めてあげた。

その時に、昔から思い描いていた沢山の人から認められている時のような安心感を感じた。やっと分かって貰えたと思った。

たぶん自分は自分に一番認めて貰いたかったんだなと思った。

 

今では一番大切な存在の自分に認めてもらえていると感じられるのでだいぶ楽になった。かなり心強く感じている。

誰からも認められていないと感じている人は、自分を認めて欲しかったけれど認めて貰えなかった誰かがいると心理学で学んだ。心の傷の取り組み方はそれぞれ違うけれど、良かったら自分の事をちょっと認めてあげてみて欲しいなと思います。

 

周りの人はみんな敵

少し前の自分は、とにかく周りの人はみんな敵だと感じていた。

昔、精神的に落ちてしまい入院させられてしまうくらいまで悪くなってしまった事があった。

その時期あたりから自分が人と違うような異質な良くない意味で普通じゃない存在だという感覚を持つようになってしまった。


つい最近新しい職場になり、慣れない環境でその自己嫌悪の気持ちが強まった。人間関係を築くのが下手な自分には辛い時期で、職場では自分は異質な存在だからと自分から周りに関わっていくことができずにいた。それでも、みんなと繋がりたい気持ちも強くあって自分からは関わっていけないながらも、分かって欲しいのに分かってくれない周りに反発した態度をとってしまい上手くいかなかった。

なんとかこんな自分を周りの人に認めて欲しくて、他にはない特別な才能や個性、強い異質感から人と違う特別な何かなどにに強くこだわっていた時もあった。
自分に人が驚くような何か凄いものがあればみんなは認めてくるんじゃないかと。
認められないことへの反発心から頑張っていたところもあって、それらのこだわりは人との距離ができる原因にもなった。

その頃、次々にくるそんな日常や現実から逃げたくなり死ぬことばかり考え、日常生活もままならなくなってしまい、抑うつ状態で休職する事になった。

もうその頃は自分は誰からも理解されない、もう一般社会では生きていけないのかと自分の世界に入りふさぎ込む毎日で、認めてくれない世の中を見返してやりたいという気持ちだけが日に日に増すばかりだった。

けど、そんな自分でも何とか少しでも前に進みたい気持ちがあり、必死に自分と向き合った。頭の中と心の中ががごちゃごちゃで、これからどうすれば良いのか分からなかった。

ずっと自分と向き合い続け、どこか自分の中でも今の自分自身をこんな自分じゃダメだと認められていなかった事に気が付いた。ダメな自分もやっぱり自分で、認めてあげなきゃ居場所がないそれは辛いなと、どんな自分でも受け入ようと思った。

それからは、無理に特別に秀でた存在になることにこだわらず、そのままの自分の個性に少し自信が持てるようになった。
人との繋がりも少しずつ楽にできている。

まだ日々実践中だけれど良い方向に向かってるかなと思う。
これからも自分癒しを続けていきたい。

自分を助ける=人を助ける

心理学では、犠牲という心理学用語がある。心理学で言う犠牲とは、他人のために自分がボロボロになってでも与えようとしてしまうこと。 

その人のことを思ってする行為や愛は素晴らしいけれど、皮肉なことに犠牲だと自分も相手も幸せになりずらい。

 

僕自身がすごい社会で痛い目にあってきて、自分と同じような境遇にいる人や同じ痛みを抱えている人の気持ちがすごく良くわかるので、助けたいという気持ちが強くある。

 

でも、その助けたい気持ちの向け方を少し間違えて空回りしているときがあった。

 

その時期いつも自分の心の中では、かつての自分のように傷ついて助けを求めている人が世の中にはたくさんいるんだよなとよく思っていた。

 

その人達を置いていかないように必死に自分が幸せになることを抑えて「僕もあなたと一緒だよ」「気持ち凄い分かるよ」と傷ついている人と同じ立場に立って、気持ちを分かってあげようとしていた。

 

けれど、その優しさを与える形はやっぱり苦しかった。

 

でも自分ではそれが本当の優しさというものだと思っていた。

 

でもそれが段々苦しくなり、どうにか良い方法は無いか必死に調べた。

 

そうして、最初に書いた犠牲と癒着の事が書いてある心理学のサイトを見つけた。

 

[http:// 誰かを助けるためにできること~自分が幸せになる影響力~ - カウンセリングサービス心理学講座:embed:cite]

そこで書かれてある事で分かったのは、心の中でいつも助けを求めている人は実はかつての自分だということ。

 

過去に傷ついて助けてもらえなかった自分をかつての自分と似たような境遇の人に映し出して助けようとしているんだということ。

 

それと、もう一つ犠牲の心理学から学んだことがあった。

 

自分を助けるために幸せを受け取らない事で自分が苦しんでいたらあんまり意味がないなと。

 

傷ついて助けを求めている自分のためにも幸せを受け取ろうと決めた。

 

この心理は自分の為だけじゃなく、人のためにもなるとも思った。

 

人の為を思って自らを犠牲にする愛の形は、一見素晴らしいけど、犠牲して与えた方は当然辛い。

 

与えられたら方も気持ちは凄く嬉しいんだけども、辛くなってしまうのではないかなと、素直に喜べないなと感じた。

 

それからは、時間があるときにはかつての傷ついた自分を心の中で思いだし色々労ってあげた。

 

少しずつ幸せを受け取れる様にもなり、傷ついた自分も段々と癒され強く助けを求める事は少なくなっているきがします。

自分を助ける

自分は少し前まで自分が嫌いで、上手くいかない人生に悩んで引きこもっていました。

今でもそこまで変わらないのですが、色々試行錯誤し、心理学なども使い少しずつ良い方向に向かってる気がしています。

日本には自分を自分が一番嫌っている人が結構多いと思っています。助けを求めている自分がいて、そんな自分を弱いと蹴飛ばすようなもう一人の自分がいる。

1番近くにいて1番自分の事を分かっている自分に嫌われてしまったら、凄く辛いと思うんです。

自分の中で助けを求めている自分を、助けてあげてほしいなと思います。

ブログ始めます

自己表現出来ない自分を変えたくて。
人が凄く好きだけど、あまり人としゃべるのが得意じゃない自分が、心の中にある伝えたい思いを文字にしてみました。

なんとなく目に入ったこのブログが、なんとなく読んでくれた方の心の片隅で寄り添えたらと願っています。