自分を助ける=人を助ける
心理学では、犠牲という心理学用語がある。心理学で言う犠牲とは、他人のために自分がボロボロになってでも与えようとしてしまうこと。
その人のことを思ってする行為や愛は素晴らしいけれど、皮肉なことに犠牲だと自分も相手も幸せになりずらい。
僕自身がすごい社会で痛い目にあってきて、自分と同じような境遇にいる人や同じ痛みを抱えている人の気持ちがすごく良くわかるので、助けたいという気持ちが強くある。
でも、その助けたい気持ちの向け方を少し間違えて空回りしているときがあった。
その時期いつも自分の心の中では、かつての自分のように傷ついて助けを求めている人が世の中にはたくさんいるんだよなとよく思っていた。
その人達を置いていかないように必死に自分が幸せになることを抑えて「僕もあなたと一緒だよ」「気持ち凄い分かるよ」と傷ついている人と同じ立場に立って、気持ちを分かってあげようとしていた。
けれど、その優しさを与える形はやっぱり苦しかった。
でも自分ではそれが本当の優しさというものだと思っていた。
でもそれが段々苦しくなり、どうにか良い方法は無いか必死に調べた。
そうして、最初に書いた犠牲と癒着の事が書いてある心理学のサイトを見つけた。
[http:// 誰かを助けるためにできること~自分が幸せになる影響力~ - カウンセリングサービス心理学講座:embed:cite]
そこで書かれてある事で分かったのは、心の中でいつも助けを求めている人は実はかつての自分だということ。
過去に傷ついて助けてもらえなかった自分をかつての自分と似たような境遇の人に映し出して助けようとしているんだということ。
それと、もう一つ犠牲の心理学から学んだことがあった。
自分を助けるために幸せを受け取らない事で自分が苦しんでいたらあんまり意味がないなと。
傷ついて助けを求めている自分のためにも幸せを受け取ろうと決めた。
この心理は自分の為だけじゃなく、人のためにもなるとも思った。
人の為を思って自らを犠牲にする愛の形は、一見素晴らしいけど、犠牲して与えた方は当然辛い。
与えられたら方も気持ちは凄く嬉しいんだけども、辛くなってしまうのではないかなと、素直に喜べないなと感じた。
それからは、時間があるときにはかつての傷ついた自分を心の中で思いだし色々労ってあげた。
少しずつ幸せを受け取れる様にもなり、傷ついた自分も段々と癒され強く助けを求める事は少なくなっているきがします。